HISTORY

沿革

就職差別の撤廃に向けた活動の歴史

1970年代初頭、就職差別を含む様々な差別が根強く残る中、部落解放同盟は労働運動と連携して差別撤廃運動を展開しました。特に、1963年の狭山事件は、部落差別に対する世間の意識を喚起し、差別の不当性を広く訴える契機となりました。部落解放同盟は、この事件を通じて部落問題の可視化を図り、社会的な認知を広げました。

1974年、労働組合の総評(日本労働組合総評議会)が部落解放同盟との連携を明確に打ち出し、就職差別をはじめとする差別撤廃のための共闘を開始しました。この連携は、就職差別の具体的な事例に対する糾弾活動を通じて、職場での差別を防ぐための実効的な対策を講じることを目的としました。
1975年に結成された「部落解放中央共闘会議」は、就職差別を含むあらゆる差別撤廃のための具体的な活動を進める中心的な組織となりました。この会議では、就職差別に対する抗議集会やデモ、企業や自治体への要請行動が繰り返し行われました。特に、「部落地名総鑑」などの差別図書が企業によって購入され、就職差別の根拠とされる事態に対して、全国的な糾弾活動を展開しました。

また、「同和対策事業特別措置法」の制定とその具体的な実施を求める運動を強化し、部落出身者への不当な就職差別を法的に抑制するための制度的枠組みを整えるための闘争を続けました。これにより、1970年代後半には、企業や自治体に対する指導や啓発が進み、徐々に差別の改善が見られるようになりました。
1980年代に入っても、部落解放中央共闘会議は、全国各地での就職差別撤廃に向けた活動を継続し、差別を許さない社会の実現を目指しました。各地での労働組合や市民団体との連携を強化し、差別のない職場環境づくりに向けた教育活動や啓発運動も盛んに行われました。